私の話をしましょう。

私は幼稚園が大嫌いでした。

当時は年中から入園する2年保育が主流だったので、私も世間の流れに乗り、4歳になったばかりの秋頃に近所の幼稚園の体験入園に参加しました。

その時の事を今でもよく覚えています。

あ、先に結末を言ってしまうと、入園しましたが中退しました。

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初めての幼稚園

体験入園では、長いテーブルに見ず知らずの子供と座らされ、ヤクルトとお菓子が配られました。

幼稚園の先生
さあみんなでいただきますをしましょう!

 

いただきませんよ。

幼稚園の先生
どうして食べないの?

 

全く手を付けない私に気付いた先生は、執拗に迫ります。

私は今でもそうですが、衣・食・住は完全に個人の領域だと思っています。
気心の知れた間柄ならまだしも、見ず知らずの人間と食を共には出来ません。
親睦を深めるために食事に行くのではなく、親睦を深めてから食事に行くのが私のスタンス。

しかし周囲の人間には4歳児が目の前のヤクルトとお菓子に手をつけないのが理解不能だった様で、

他の子供
この子食べないよー

 

他の保護者
あの子どうしたのかしらね

 

皆が私を見ています。

仕方がない。

家に持って帰って、お姉ちゃんと食べます

実は帰り道でボリボリ食べようと思っていますが、この場を切り抜ける最大の言い訳。
4歳児にしてはよく思いつきました。

先生は半分呆れたような顔で、

幼稚園の先生
そうなの。

 

と言って、私から離れていきました。
後に母から聞いた話では、

他の保護者
しつけが厳しいのね

 

とヒソヒソ話が聞こえてきたのだとか。

そんな幼稚園に、
家の近くにある、今年で5歳になる
という理由だけで、春から入園することになりました。

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毎朝泣きながら登園

入園後の私は、毎朝門のところで母にしがみついて泣いていました。
先生が無理やり引きはがそうとするので、母のトレーナーに噛みついたら破れました。

ななちゃん!破れたじゃない!

 

と、母に怒られました。

縫えばいいでしょ!

と言い返し、その日は幼稚園に行きました。

母も先生も周りの保護者たちも、私は甘えん坊でお母さんから離れたくないから泣いているんだと話しています。

全然違います。

お母さんと離れたくなくて泣いた記憶は、物心ついた頃からないかもしれません。
泣いていたのは、ただ幼稚園から帰るための手段の一つでした。
それもどんなに泣いても暴れても大人の力には敵わないと悟ってからは泣くのをやめました。

大人たちは、「幼稚園に慣れたのね」と話していました。

違います。第2の計画を立てていただけです。

第2の計画

毎朝、登園するとクラスごとの活動を始める前に園庭で自由に遊ぶ時間がありました。
その時間はまだ登園中の園児もいるようで、門には白髪頭の園長先生がいつも立っていました。
私は、汽車の形をした滑り台の下で、いつも門を眺めていました。

毎日、毎日。

その日が来ました。

門の横に白髪頭が見えない!

なるべく目立たないよう、園庭を突っ切るような馬鹿な真似はしません。
園庭の周りの柵にそって、遊具の陰を走って、門の近くまで行き、一気に駆け出しました。

外の世界!!!

幼稚園から家までは、角をひとつ曲がってまっすぐ進むだけ。子供の足でもほんの数分の距離です。
いつもの景色が違って見えます。
スキップをするたびに私にまとわりついていた重苦しい嫌な空気が消えてなくなるようです。

その時です。

「大変!!ななちゃんが逃げてる!!」

聞き覚えのある近所のおばさんの声。

家から飛び出してきた母に、何を言われたのか、怒られたのか、笑われたのか、呆れられたのか、全然覚えていません。
先生から何を言われたのかも覚えていません。

母は「あんなに必死に走ってるななちゃんを見たのは後にも先にもあの時だけ」と言います。

…え?私は爽やかに、軽やかにスキップをしていたはず。

私は必死だったのかもしれません。

その日以降、門の横から白髪頭が見えなくなることはありませんでした。
ひとつ変わったことは、白髪頭の横には副園長先生のパーマ頭が増えていました。

あれから先生は私としっかり手を繋ぐようになりました。
そんなことをしなくても、私は逃げないのに。
先生は私の手をギュッと握っているけれど、私は指先までピンと伸ばします。

握り返すものか。

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幼稚園が嫌いな理由

どうして幼稚園に行きたくなかったのか。

子供が嫌いだったから。この集団には属したくないと思ったから。

どうして子供とお絵描きをしないといけないのか
どうして子供と鼓笛隊の練習をしないといけないのか
どうして子供と外で元気に遊ばないといけないのか
どうしてそこで喧嘩を始めるのか、どうしてそこで泣くのか

ばかばかしい。まぁ自分も子供だけど。

先生も的外れなことばかり言います。

幼稚園の先生
欲しいものの絵を描きましょう

 

と言われたので、ブラックホールの絵を描きました。

先生は、

幼稚園の先生
ななちゃんはハンカチがほしいのね。

 

と微笑み、私の画用紙の裏に「ハンカチがほしいな」と勝手なタイトルを書きました。
私のブラックホールは台無しになりました。
ブラックホールを、四角く描いた私にも責任がありますが。

マラソン大会の日、集団が嫌いな私は個人競技が嬉しくて、はりきって半袖の体育着を着ました。
周りの子は長袖の上着を着ています。
マラソンの途中、担任の先生の姿が見えました。
普段こんなにはりきる私ではありません。

「ななちゃん半袖でがんばってるの?えらいね!」と褒められることを密かに期待していました。

幼稚園の先生
ななちゃん!風邪ひくでしょ!どうして上着着ないの!

と怒られました。
毎日裸で乾布摩擦させるくせに、どの口が言うか。と腹が立ちました。

お誕生日会も大嫌いでした。
みんなでケーキを食べます。
食べません。

幼稚園嫌い

おゆうぎ会も大嫌いでした。

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一体何の罰ゲームなのか。
どうしてこいつらはこんなに弾けているのか。
ただ、やらないとまた先生の「どうしてやらないの?」攻撃が始まるので渋々参加します。

5歳児の決心

年長になり、梅雨のどんより暗い日、母に言いました。

幼稚園辞めるわ。

母は一瞬目を丸くしていたものの、
年内に引越しを控えていたからか、すんなりと退園手続きを済ませました。

幼稚園では、私のお別れ会が開かれました。

どこに引っ越すの?引っ越す前にまた遊ぼうね、仲良くしてくれてありがとう!

今までろくに口もきいたこともない園児たちが口々にお別れを言います。

最後までいい加減な奴らだな、そう思ったのが、私の幼稚園最後の思い出。

幼稚園の唯一の友達

幼稚園の全てが嫌いだったわけではありません。

幼稚園にはアヒルがいました。アヒルは子供が嫌いでした。
いつもは小屋の中にいて、
時々園庭に無理やり出されると子供たちに追いかけられ、迷惑そうな顔。
私は今日も門から園長先生がいなくなることはないと判断すると、
アヒルの小屋へ行きます。

唯一私が「おはよう」と言う相手。
「明日も来るからね」「また遊ぼうね」「だいすきだよ」
私が人間の友人に一度もかけたことがない言葉を、アヒルには毎日毎日かけ続けました。

いつからか、アヒルは園庭に放り出され、子供たちに追いかけられながら
私を見つけると一目散にこちらに走ってくるようになりました。
先生たちは驚いています。子供たちは追いかけるものの触れないから邪魔をしてきません。
こんな面倒な馬鹿馬鹿しい集団の中で、ただこの時だけは笑っていました。

「アヒル怖くないの?すごいね」先生の言葉も素直に嬉しく、
「アヒル大好き。かわいいね。連れて帰りたいね。」自然と饒舌になります。

これがただひとつの大事な思い出。

束の間の自由

幼稚園嫌い

幼稚園を中退し、私は自由を手に入れました。
家には犬がいて、いつまでも話を聞いてくれます。

しばらくして隣県に引越しましたが、引越し先でも幼稚園には行っていません。
親から入園の話を振られることもありませんでした。

親は私に衣食住を提供してくれるだけで、私がどこにいても何をしていても無関心。
毎日外に出て、建ったばかりのまだ住人が少なく静かな団地の中を走り回りました。
同じ年頃の子供は少なく、いたとしても幼稚園や保育園に行っています。

掃除のおばさんと、田んぼのおじさん、野良猫。
それが私の友達。
幸せだった。一生分の幸せの何割かはここで使ってしまったのかもしれない。

小学校入学=再び集団生活

自由な時間は半年ほどで終わりを告げ、小学校に入学しました。

学校でも多少の違和感があったものの集団生活に馴染み、勉強に困ることもなく、友人も出来、わりときちんとしていたのでそれなりに責任のある立場を任され、ごく普通に小学校生活を送りました。
母も、母から幼稚園中退の過去を知らされ身構えていた先生も、安心したようでした。
給食は6年間、ほとんど口にしませんでした。
だって仲良くもない人と食を共にするのは嫌ですから。

高学年になり、私は時々放課後に理科室へ行くようになりました。
理科室には亀がいて、まともな世話をされていません。
亀を磨いて水槽をきれいにしてあげたら、今度は悪いコケだらけのメダカの水槽が気になりました。

次に理科室に行った時、メダカの水槽を掃除していたら、先生に見つかりました。
先生は怒った顔をしていますが、怒られる前に怒りました。
どうしてまともな世話も出来ないのに飼っているのかと。
あっけにとられる先生を残して、
正面玄関の大きな水槽のフナの調子が悪いようだったので水質を整える準備をして、家に帰りました。

これが私の生き方

家に帰ると犬がいます。

今日も学校に行きたくなかったことも、明日も学校に行きたくないことも、全部聞いてくれます。

部屋の水槽には卵から孵した鯉がいて、鯉につられて30cm程に育った金魚が60cm水槽で狭そうにしています。

十姉妹のヒナがやっと巣立ちました。去年巣立ったお姉さんと小松菜を食べています。

私の亀はいつもきれいでご飯をたくさん食べます。

この前捕まえてきた稚魚は、どうやらオイカワの稚魚のようです。

それから学校では生き物の管理を任されるようになりました。
生き物係は人気の係なので他の人がやっていましたが、実は放課後先生に頼まれ、私が世話をしていました。
ひとつも習い事をしていなかったので、時間は有り余っていますから。
正面玄関の水槽も理科室の水槽も、いつもきれいになりました。

先生に「どうしてそんなに生き物が好きなの?」と聞かれ、「生き物は裏切らないから」と答えると、先生は少し困った顔をしていました。
深い意味はなかったのですが、それが11歳の私の本当の気持ちだったのでしょう。

私にとっては何の楽しみもない小学校の生活です。
家では両親も姉もいがみ合っていて、一人だけ子供の私には誰も興味がありません。

生き物たちが私の家族であり、何よりも信頼出来る存在でした。

小学校の卒業を控えた頃
担任の先生から、クラスで飼っていたハムスターを引き取ってくれないかと頼まれました。
クラスのヒエラルキーで言うところの、上の方にいる方々が提案して飼い始めたハムスターです。

私は引き取るべき立場にはないと断りました。
理科室の生き物と同様、責任を持てないのなら初めから飼うべきではないのです。
ハムスターは結局担任の先生が引き取り、私は小学校を卒業します。

そして大人

中学以降は省略しますが、母が病気で入院し、父と姉が家出をし、私はほぼ一人で暮らしていました。
「よくグレなかったね」と言われるようなひどい家庭環境でした。
表向きは普通だったから、余計に中は滅茶苦茶でした。

ヨーキー 羊毛

しかし私にとってはそんなことよりも13歳の秋、
10年間私と一緒にいてくれた犬が死んだことが何よりも辛い出来事。
実家ではそれ以降何も飼っていません。

犬がいなくなってから、一人でよく考えて、現実を見て、色々なことを諦めて、一気に大人になりました。
早く犬と暮らしたくて、まだ学生だった19歳の時、寝る間も惜しんで勉強をして、独学で知識を得てアルバイトである程度の収入を維持できるようになってから我が家の長老犬チヨを迎えました。

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今、自力で身に付けた知識と少しの技術で何とか仕事ももらっているのも、生き物と暮らしたいという思いがあってこそ。

現在2人の娘の母親です。

今でも幼稚園は大嫌い。小学校も大嫌い。
嫌いだからといってやるべきことをしないのはもっと嫌いなので、わりと頑張っています。
でも子供たちが在園中、不意打ちで幼稚園の給食の匂いを嗅いで脱走しそうになりました。
小学校では嫌々ながら役員になり、一番上の役職についてしまいましたが、それなりにきちんとやり遂げました。

保護者の間ではランチ会があります。
とても仲良くしてくれている人とのランチには喜んで行きますが、クラスの親睦を深めるためのランチには行きません。
だって親しくない人と食を共には出来ませんから。

大変な時はいつも家の生き物たちが話を聞いてくれます。
これが私の生き方です。

大好き うずら

どうしてこんなにダラダラと書きつらねたかというと、いつかどこかで行き詰った時、心の拠り所がひとつでもあればきっと大丈夫ということを言いたかったから。

私は家庭環境が良くなくて、集団生活も息苦しかった。
学校で意地悪をされても、「ななちゃんは賢いからいじめられるわけがない」と信じきっている母には何も相談はできません。
習い事はひとつもしていないから学校と家の往復。

唯一、生き物がいてくれたから幼稚園に少し行く意味も、学校に行く意味も、家にいる意味も、生きている意味もありました。
今は子供に不自由させないためと、家にいる生き物たちを養う必要があるから働きます。

子供たちは私にべったりで比較的よく話しますが、反発したくなる時期もいつか来るでしょう。
その時に誰にも言えない、言いたくもない話を黙って優しく聞いてくれる存在を大事にしてほしいなと思います。

それが学校の友達なのか、幼稚園の時の友達なのか、習い事の仲間なのか、庭の穴なのか、私と同じように生き物なのかは分かりませんが。

子供は皆勤賞

長女は幼稚園2年間皆勤賞。小学校もまだ一度も休んでいません。
次女も幼稚園は3年間皆勤賞。

なんということでしょう。
子供が皆勤賞だから、幼稚園が大嫌いな私も皆勤賞×2人分です。

「幼稚園は赤ちゃんばっかりでつまらなかったなぁ」と笑う次女は、「でも脱走してないし、辞めてないからね」とニヤリ。
「そうだね。偉かったね。がんばったね。」と褒めると、「かあちゃんが褒めてくれるからだよ。友達もいたしね。」と照れ笑い。

2人とも生まれ月が年度の前半なので、幼い同級生に合わせてばかりでした。
低学年の次女は今でもそうです。
それでも子供の集団の中できちんと居場所を見つけ、先生に認められ、友達にも恵まれ、きちんと通いきりました。
素直に感心しています。

うずらねこ

帰るなり抱っこされても口に入れられても、文句も言わずに堪えてくれるぶんじ&とらじ。

パピヨン

泣いていたら、「やめてー!」と笑いだすまで舐めつづけてくれるたみ。

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時々優しいチヨ。

我が家の動物たちは、立派に役目を果たしてくれています。

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