私は10歳&7歳の姉妹の母です。

比較的身体は丈夫なものの、小さい頃はひどいアレルギーだったり、長女がイヤイヤグズグズがピークの時に次女が生まれたり。
育児は人並みに大変だったと思います。

産前産後に実家に戻ったり、頻繁に親を頼れる環境ではありません。
子供達の父親は非協力的。

育児だけでもいっぱいいっぱいな時期に身辺でゴタゴタがあったりして、20代半ば~後半の私は心身ともにボロボロでした。

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育児が辛かった時期

育児が辛い時期っていつでしょう?

私の場合はやはり2,3,4歳。
長女の時は何もかもが初めてで慣れない事の連続なので、常に今が一番大変!と思っていました。

あの頃あんなに大変って思ってたのに、今の方が大変じゃん…と。その連続。
それが新生児~3,4歳まで。

それ以降は徐々に楽になるだけ。
もしかしたらこれから思春期の第2回育児が辛い時期がやってくるかもしれませんが。

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いつも赤の他人が助けてくれた

実家も頼れない、一番頼りにすべき人間はむしろ私を苦しめる。
そんな状況で、私は何度かもうダメだ…と心が折れそうになりました。

たまにニュースで見る、母親が育児ノイローゼで子供を…という事件、なんかちょっとその気持ち分かるなと思ってしまうのも正直なところ。
私は育児ノイローゼにはなりませんでしたが、いっぱいいっぱいでしたから、ちょっとしたはずみで何が起こったか分かりません。

どうしてここまで2人を育ててこられたのだろうと考えると、いつも絶妙なタイミングで助けてくれる人がいました。

名前も知らない赤の他人。

知らないおじさん

なんだかもう色々辛くて、散歩に行きたいという当時2歳の長女を連れて、化粧もしないで近所のスーパーの入口にボンヤリと立っていたことがあります。
子供だって頭ボサボサだし、大してきれいな服も着せていません。

そんな私に突然
「お母さん、こんないいこはいないよ!すばらしい。いいこだね。親孝行だね。」
と話しかけてきた一人の知らないおじさん。
地元の茶祭りで貰ったという飴をふたつ、長女の手に握らせてくれました。

おじさんにとったら何てことはない、ただ小さい子供と若い母親がいたから声をかけたのかもしれないけれど、私は多分、あの時あのおじさんに暗い谷底から引っ張り出してもらいました。

変なお兄さん

当時よく通っていた子育て支援センターには、変なお兄さんが出没していました。
変なのでセンターの職員さんは絶対に建物の中には入れませんが、悪い人ではないのでお庭で話し相手になってあげていました。

そのお兄さんは初めて長女に会った時、私に「(長女に)守護霊が見えましたよ」と話しかけてきました。
「体格の良いおばさんで、他に15人くらいいて、後光がさしているような…こういうのは仏様とか観音様とか…僕はこんな子に会った事がない」と。

その変なお兄さんにある日道端でバッタリ会いました。
私は次女妊娠中。
相変わらず孤独な育児と身重の体で心身ともにモヤモヤとしていたタイミング。

変なお兄さんは修行をしたらしく、オーラが見えるようになったのだとか。
変なお兄さん曰く、私は冷静で欲が無さすぎらしい。

そして、「ごめんね、見えちゃったんだけどさ…」と、私の身辺がゴタゴタしていることをズバリ当てられ、ずっと変なお兄さんだと思っていましたが、スピリチュアルとか全然信じない私ですが、その一言でちょっと真剣に話を聞いてしまいました。

しかも話していくうちに私、死にかけ?くらいの勢いの鑑定を始める変なお兄さん。
私は1人のままだったら危なかったけれど、長女は相変わらず守護霊達に強く守られてて、長女がいるから私も大丈夫だとか。

普段あまり知らない人には愛想を振りまかない長女。
何故かその人の顔を見ながらニコニコ笑って手を振って「バイバイ、またね」と言いました。

別れた後は私にしがみついて大人しい。
家に帰って「どうしたの?」と聞いてみてもモジモジ。
好物のいよかんで釣ってもう一度聞いてみたら、「さっちゃん、後ろ向いちゃった。怖かったよ…」と。

一体何があったの…。

そんな変なお兄さんの怪しいお話でしたが、長女の大きな存在を改めて考えさせられた出来事でもあります。

知らないおばさん

子供を連れていて、一番声をかけてくるのはおばさん。
中には大きなお世話だよ…と言いたくなるような人もいますし、すごく人当たりが良くて和やかに話していたと思ったら「天〇教なんですけど~」と切り出されることもありますが、良い人の方が断然多い。

断末魔の叫びをあげて自転車の子供乗せに乗りたくないと仰け反る次女と、このままでは長女の幼稚園の迎えの時間に遅れそうで半ギレの私。

そんな我々に「あらあらー!可愛いお顔が真っ赤っか!」と声をかける知らないおばさん。
一瞬怯む次女、その隙に自転車に押し込む私。
ブチ切れそうだった半ギレの感情も、おばさんの呑気な声で収まっていました。

遠くの親戚より近くの他人と言いますが、まさにその通り。
私を救ってくれた名前も知らない赤の他人の皆さんは、子供の世話をしてくれたわけでも預かってくれたわけでもありません。
ただ私達を見て、話をしてくれただけの存在。
たったそれだけでも、ギリギリの状態の母子にはとてつもなく大きな存在でした。

私もいつかどこかで自分も気付かないうちに誰かの支えになれるような人間になれたらいいなと思います。
いっぱいいっぱいだった私が人のためを思えるくらいまで成長出来たのも、あの時の赤の他人のおかげです。

世の中捨てたもんじゃありません。

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