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後悔の少ない最期のために飼い主が出来ること【チヨちゃんの旅立ち】

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チヨは18歳8ヶ月(18歳9ヶ月まであと1日!)で旅立ちました。
今まではっきりと書かず(書けずに…)いたのでここに残しておこうかと思います。

チヨは大きな持病はなかったものの、後ろ足が弱り歩行補助が必要になったり、会陰ヘルニアで膀胱が飛び出し圧迫排尿が必要だったり、うまく動けないのでおねんねサービスが必要だったり、発作を起こすようになったり、最後の頃は食事を摂るとガスが溜まり腹痛で辛そうにすることも増えました。
いつか食事を喉に詰まらせて窒息するんじゃないかという不安や、苦痛の方が上回ったら楽にさせてあげることも飼い主の務めということも頭の片隅に留めながらの日々。

当のチヨちゃんは満身創痍ではありましたが、前日まで自分でしっかり食べて歩いて。

旅立った日の早朝、

チヨ

おしっこ行くわよ!

と私を起こしてくれて、いつも通り私が歩行を補助してトイレで用を足しました。
お布団に戻って、また寝るかな?と思ったら、こっちをジーっと見て、そのまま大発作。

朝3時か4時か、たまたまリビングで寝落ちしていた小学生の次女が起きてきて、酸素を吸わせたり発作止めを冷蔵庫から取ってきてくれました。
やはりその時も痰を詰まらせて息が出来なくなっていたので吸引機を使いました。
ここで吸引していなかったらそのまま窒息していたと思います。

発作止めを最大限使っても発作は止まらず、夜間救急の時間も終わり、かかりつけの開院時間を待つしかありません。
というか開院したところで連れて行けるかどうか…そんな状況でした。

どうにかこうにかかかつけに電話が繋がる時間になり発作と発作の合間を縫って病院に連れて行って急患として診ていただき、脳圧を下げる薬などを投与。

そして更にこのまま病院で強い薬を使って脳を休ませて様子を見るかどうかと判断を迫られ、

そのまま病院で死んじゃうかもしれませんよね?

と聞くと、獣医さんも否定は出来ない様子で。

なのでその場で酸素室のレンタルを頼み、家に連れて帰りました。

私はもうほとんど覚悟は出来ていて、小さい発作を何度か起こしながらこっちを見ているチヨちゃんを私もずっと見ていました。耳が聞こえなかったし発作を起こしてからは多分目もそんなに見えていなかったから、頭に口をくっつけて「お母さんいるよー」と声をかけると発作が小さくなるのが不思議で。

その日の午後、チヨは亡くなりました。

約8ヶ月前に同居犬たみが亡くなった時は「どうして?」と大泣きだった次女。

たみの介護もチヨの介護もずっとそばで見て誰よりも手伝ってくれていた次女は、

次女

良かったねって思うよ。チヨちゃん発作嫌そうだったもん。

と言いました。

この言葉を聞いてやっぱり病院で処置した方が良かったんじゃないか…とかウジウジしそうだった私の涙は引っ込んだ。

チヨちゃんは最後までチヨちゃんらしく生き抜いて、家族全員が揃ってる祝日に住み慣れた家で旅立ったのだと。

寂しさはありますが、後悔はほとんどありません。

目次

最期の日のために飼い主が出来ること

老犬介護の日々の中ではあまり考えたくないことではありますが、どこまで治療をするのかどこから緩和をするのか、どのように最後を過ごしたいのかをあらかじめ考えておくことはすごく大事。

余談ですが、私はその後末期癌の父を在宅介護で看取りました。
人間の介護計画は訪問介護や訪問診療、かかりつけの病院など家族だけでなく様々な人の手を借りて行うので、犬の介護よりもずっと現実を見据えたものでした。

最期はどこで過ごしたいのか、どういう状態になったら治療よりも緩和ケアに重きを置き始めるのか、父の場合は意思がはっきりしていたので本人の意見を聞いて家族の余力を考慮して綿密に計画が練られ、痛くないように苦しくないように様々な薬で疼痛管理をしながらの毎日。
最期は家族に見守られながら旅立ちました。

チヨたみ亡き後、今も私は大切な犬猫と暮らしています。
冷静ではいられない時に少しでも正しい判断が出来るように、大切な我が子にいつか訪れる最期の日から目を背けずにいたいと思っています。

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