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老犬の最期の症状【終末期~看取りの兆候と飼い主に出来ること】
先代のチヨたみを看取って4年以上経ちました。
これまで詳しいことまで振り返ることが出来なかった2匹の看取りの頃についてまとめようかなと思います。
たみ(~2019.5)の後にチヨ(~2020.2)を看取り、その後私は末期がんの父(~2022.2)を在宅介護の末に看取りました。
父は看取り前提の在宅医療と緩和ケアだったので、在宅医療・介護が始まる時、一番最初に渡されたのが終末期~看取りの時に起こる症状の一覧でした。
このような兆候が見られたらあとどのくらい、このような症状が見られるけれどそれは終末期に起こる当然の反応なので大丈夫、患者はこんな精神状態にもなります…など、イラスト入りで細かく書いてありました。
父の前にチヨたみを看取った私にはその内容がすんなりと理解出来ると同時に、一番最初に老衰で看取ったたみちゃんの時にこれを知っていたらもう少し穏やかに楽に過ごさせてあげられたのではないかなという気持ちも。
チヨの最後は重責発作だったのでたみとは少し違いますが、それでも言葉には出さなかったものの亡くなる少し前から「ああもうすぐだ」と感じ、その時を受け入れる心の準備が出来ていたのはたみの時の経験があったから。
最後の最後に無理をさせない、無理をさせてしまったと後悔しないためにも終末期に起こりうる兆候を知っておくことは、犬のためでもあり、その後の飼い主さんのためでもあるのかなと思います。
一個人の経験ではありますが、私の犬の終末期の様子と、今いる犬猫たちのために私がしておきたい心構えをまとめていきます。
終末期に見られた症状
どこからが終末期かという定義は曖昧ですが、亡くなる1ヶ月ほど前からを終末期として振り返ります。
チヨもたみも完全に寝たきりにはならず、むしろ自力での歩行は難しいのに私の補助を頼りに24時間動きまくっていたので、正直「まだまだいける」という気持ちが私にはありました。
でもそんな日々の中で何回か「あ、また階段を一つ上ったな…」と感じた瞬間も確かにありました。
たみは長い期間認知症だったので隙間に挟まったり壁に行き当たったまま動けなくなったり夜泣きも始まったりと認知機能の低下がありましたが、そういった老化現象とは別に、四肢や消化機能など肉体の衰えを感じた時、命の入れ物の寿命が少しずつ尽き始めていることをチヨの時は悟りました。
たみの時はまだ頑張れるはずと信じていましたが、あの頃の状態は自然な老衰の症状であり、もしここで延命措置に近い医療の介入をしていたらかえって本人を苦しめる可能性があると後で知りました。
嚥下機能・消化機能の低下
たみの場合は食欲がなくなるというよりは、飲み込むことが出来なくなりました。
口に入れてもダラッと垂らしてしまう、これまでは飲み込んでいたはずなのにいつまでも口の中に留まっているなど。
チヨの場合は食後の膨満感がひどく、食欲は旺盛で亡くなる前日も5食くらい食べていましたが毎食後お腹が張って(胃拡張)、オナラを出し切るまでキューキューキューキュー鳴きながらお腹マッサージを受けていました。
たみは腎臓病治療のため、チヨは亡くなる少し前に下痢で体調を崩したため自宅で皮下点滴をしていましたが、2匹とも何となく予感がしていたのと毎日の様子から輸液は当初指示された量よりだいぶ減らしていました(獣医さんにはそうしたいと報告の上)。
というのも終末期は体内の水分をうまく排出出来ず浮腫や痰、心肺への負担などかえって苦しませてしまうというのを祖母が亡くなる頃に知り、老衰は「枯れるように死ぬ」のが一番楽だというのは犬も同じだろうということで。
低体温・電解質の異常
腎臓病の治療を長く受けていたたみは腎臓の数値(BUN・クレアチニン・リン・SDMA)は上下しつつも治療と家庭でのケアで悪いなりに安定していましたが、最後の方で電解質が乱れ始めました。
(個人的な感覚では腎数値よりも電解質が乱れ始めてからが正念場かなと感じているので、同じく腎臓病治療中の同居猫とらじも毎回BUN・クレアチニン・リン・カルシウムだけでなく電解質の数値も測っています)
消化機能の低下によりチヨは亡くなる1ヶ月半ほど前に下痢をしました。
それまで18年以上血液検査で引っかかったことなどほとんどないチヨにとって初めての異常値。
主に脱水と電解質の乱れ、同時に低体温になりました。
電解質を正常に戻すことと体を温めることが最後の課題となり、皮下点滴の他、電解質の補正にはアクアコールをご飯に混ぜるなどしていました。低体温対策は電気毛布で調整するなど。
呼吸の乱れ
たみは亡くなる10日前から鼻詰まりのような荒い息遣いをするようになりました。
チヨは2週間ほど前から尾翼呼吸や努力呼吸が見られるようになり、心肺の検査をしたものの異常なし。
これも今振り返ると終末期の症状だったように思います。
一時的に驚くほど回復する
チヨの電解質や体温も、たみの腎臓の数値も亡くなる兆候が出てくる少し前に一時的にあれ???というほど回復しました。
何となく元気そうで、でも何だかふわふわしているような…。
おそらくあれは「中治り現象(last rally)」というものだったのかなと。
これを知っておくと最後の時を共に穏やかに過ごすラストチャンスになるような気もしますが、終末期を過ごしている飼い主さんが「なんか元気になった!」と喜んでいる姿を見て、第三者が「それは中治り現象だよ」なんてとてもじゃないけど言えることではありませんし、言ってほしくもないでしょう。
なのでいつかのために頭の片隅に入れておくのも良いのかなと思います。
チヨの時はたみの経験があったので、「ああそうか」と別れの時に向けてまたひとつ納得した瞬間でした。
人の場合はそれに加えて「お迎え現象」「手鏡現象」などもあるそうですが、母と娘二人にせっせと世話をされて他に特に思い入れのある人物がいるわけでもなさそうな父にはなかった気がします。
四肢に力が入らなくなる
チヨもたみも介護中は足が不自由になったものの介護ハーネスや自作の歩行器で歩き回っていたものの、たみの最後の頃は、ぬいぐるみのようにくたっと四肢を広げて寝そべり立てなくなることも。
同じような子を老犬介護中のコミュニティでも頻繁に見かけ、どうしたの?と飼い主さんが困惑しているうちに最期の時を迎えるケースも多く、これも終末期の症状のひとつなのだなと思いました。
足が不自由だけど歩きたい!という意思や力があるうちは立てないなりにバタバタ動いたり大鳴きするので何となく違いがあります。
飼い主がしてあげられること
終末期を少しでも快適に穏やかに過ごすために飼い主に何が出来るのか…。
長期の介護をしている方は飼い主自身もヨボヨボだと思うのでまずは飼い主の健康を保つこと(が出来れば悩みませんよね)。
終末期には犬自身も夜なかなか寝られなくなったり、あちこちうまくいかずジタバタしたりと大変そうでした。
老犬介護については以下の記事にまとめてありますので、何となく参考にしてみてください。
終末期に最も重要なのはやはり病院との連携と、飼い主の判断力かなと。
動物病院との連携
日頃からどのように看取りたいのか、どこまで治療を望むのか、受診の目安、飼い主の望む形で看取るにはどのようにしたら良いのかを、かかりつけの獣医さんとよく相談しておくと良いかなと思います。
そのような相談が出来る関係を築くことがとても大切なこと。
人間の終末期医療の場合、万が一の場合蘇生を希望するかどうか、胃ろうなど積極的な治療を希望するのか、緩和ケアのみを希望するのか、本人・家族の希望を聞かれました。
多くの動物病院の場合病院に連れて行けば当然獣医さんは治療をしてくれますから、そういった希望を飼い主側からはっきりと獣医さんに伝え、途中で気が変わったら遠慮なく相談することも、無理させてしまったとかもっと何か出来たはずなのに…などという後悔の少ない最期の過ごし方に繋がるのかなと思います。
緩和ケア・疼痛管理
チヨたみの場合、たみは腎臓病の闘病はしていたものの結果的に2匹とも老衰で看取ることになりましたが、私の父は癌だったので終末期は身の置き所のない苦痛との闘いでもありました。
そこで父を助けてくれたのは緩和ケア。
人間の場合は予後不良の癌には鎮痛剤やステロイドだけでなく麻薬も投与されます。
麻薬の種類も内服薬だけでなくテープや持続皮下注射、それでも緩和が難しい場合は持続的に強い鎮静剤を打って眠らせます。
犬猫の場合は人と違って安楽死も選択肢として残されていますので、かかりつけの病院でどこまでの対応が可能かどうか、もし麻薬での疼痛管理が必要になった場合対応可能かどうか、かかりつけで出来ない場合は紹介してもらえるかどうかを冷静に話が出来るうちに相談しておくことも後々のためになると思っています。
チヨたみの最期の頃
看取りの経験はなかったものの、もしかしたらそろそろか…と思い始めたのはたみが亡くなる10日ほど前から。
当時のTwitterの記録を一部掲載します。
最後の投稿の約3時間後に息を引き取りました。
たみが亡くなった日、意識がどこか別の方に向いていて流動食をどうにもこうにも飲み込めずそのまま垂らしてしまうものの、まだ歩行器で歩いているので経鼻チューブで栄養だけでもと決意して病院に電話をしたのが午前中の診察受付時間を2,3分過ぎた頃。
電話はちゃんと繋がり馴染みの看護師さんが出ました。
たみの状況から普通なら急患でも受け付けてくれそうなのに、その時は「午前中の診察が終わったので午後来てください」と。午後の順番は電話では取れませんか?と聞いてもダメだと。
じゃあ経鼻チューブを検討している旨を先生に伝えて下さいと言って電話を切り、これでもしものことがあったら永遠に引きずるかも…と思っていました。
そして午後の診察の1時間ほど前、私の補助でグルグル歩いていたたみは突然息が詰まったような、ヒッヒッ…と息を吐かずに吸う動作(死戦期呼吸・下顎呼吸)を繰り返し、ああこれは…と抱き上げた私の腕の中で亡くなりました。
病院行かなくて良かったー!!!と心から思います。
おそらくあの時急患で処置をしてもらっていたら最後の最後に苦しめるだけ苦しめて病院で亡くなっていたかもしれません。あの時ばっさり断られたのはこれまで一心同体で頑張ってきた私達に神様が最後の時間をくれたとしか思えません。そんなわけで私は「家で看取りたい」という一番の希望を叶えられました。
たみに関してひとつ心残りなのが、腎臓に負担がかかるからと薬の使用を恐れ、夜眠れなくて困っているのに眠らせる薬の投与を躊躇していたこと。
使ってはいましたが、もっと使ってあげたらスヤスヤと穏やかに過ごせる時間があったのではないかなと思っています。
チヨの最期は重責発作によるものなのでたみとは違いますが、下の動画のように超高齢になってからは食後はいつも胃拡張・ガス溜まりとの闘い。
加齢による胃拡張は1年ほど前から症状が出ていましたが、最後の1,2ヶ月はより顕著に、このままもっと症状が進んで苦しいばかりの毎日になってしまったら私が命の期限を決めてあげないといけないとも考えていました。
重責発作を起こしたのは亡くなった日の午前3時。
大量の粘液を口から出して常に吸引して酸素を吸わせていないと即死んでしまいそうな状況で病院に運ぶことも出来ず、常備していた発作止めの坐薬は効かず。
発作の合間に朝一でかかりつけに運び、脳圧を下げる処置をしてもらい、これ以上の処置は預かりで麻酔のような薬で脳を休ませる処置になると聞き、これは預けたら最後になると判断し、看取り前提で家に連れて帰りました。
その後もずっと小さい発作が続き、亡くなったのは最初の発作から約半日後の15時頃。
たみと同じように最後は下顎呼吸を始め、抱っこで旅立ちました。
希望を持って処置を頼んだらもしかしたら数日違ったかもしれませんが、私の線引きは間違っていなかったと思っています。
午前3時からずっと付き添ってくれていた当時小学生の娘の「良かったねって思う。チヨちゃん発作嫌そうだったもん。」という言葉で100%納得出来ました。
私が一番希望していたことは、「家で看取る」ということ。
苦しみしかない毎日ならば病院での安楽死も検討する必要があると思っていましたが、結果的に2匹とも老衰で家で看取ることが出来ました。
犬自身の状況や性格、飼い主や家族の思いはそれぞれなので、どのような最期を求めるか答えは一つではありません。
急に状況が変わることもあるし、選択肢が無数にあるわけでもなく、気持ちに変化が起こることも。
ペットの安楽死を否定しないでほしいという意見を目にすることがありますが、自然死・老衰死も他者が否定して良いものではありません。
それぞれの家族にとっての最善を選択できるよう、元気なうちから知識をつけてその都度相談が出来るように動物病院との信頼関係の構築、連携をしておくことが大切だなと思っています。
亡くなってから慌てないように、後悔のないお見送りが出来るようにチヨたみの見送りとその後の自分については以下の記事にまとめてあります。
今回の記事は正直あまり考えたくない未来の話題ではありますが、私自身初めての看取りの前に知っておきたかったことをまとめました。
当時読んだ本「イヌの老いじたく」にあった
「飼い主と獣医師の最後の責務は、順調に「軟着陸」に誘導すること」
という一文を、老犬介護は誰のためのものなのかを忘れないようにいつも頭の片隅に入れていました。