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末期がんの父の在宅介護から学んだこと【犬猫たちに活かしたい】
チヨたみの介護が本格的に始まる少し前に亡くなった祖母(認知症・大腿骨骨折)が、入院中の病床で「家に帰りたい、情けない」としきりに言っていました。
それがずっと心に残っていた私は、チヨたみは出来る限り入院させずに住み慣れた家で寿命を全うさせたいと決め、闘病・介護をしていました。
たみは腎臓の数値が急激に悪化した時期に2回半日預けて点滴をしただけ、チヨも下痢をして脱水が進んだ時に半日だけ。
2匹とも家で老衰で看取る事が出来ました。
チヨは最後重責発作を起こしたため麻酔で眠らせて発作を鎮めることも選択肢のひとつでしたが、時間稼ぎをして作られた時間よりも処置の間離れ離れになる時間の方が長いことは目に見えていたので、短時間の点滴で脳圧を下げる処置をしてもらい、家に連れて帰って看取りました。
肺癌の父の在宅介護
チヨたみを看取った後の2021年~2022年、私は小細胞肺癌末期の父の在宅介護をすることになりました。
介護中、足元がおぼつかないのにいきなり立ち上がったり、おしっこが出にくかったり、父の様子を見ていていちいちチヨたみはこうだったなぁと思い出します。
それと同時に、今一緒に暮らしている犬猫たちにはこうしてあげたいなと新たに思うことも多く、ものすごく大変な介護ではあるけれど学ぶことがたくさんありました。
「あれ食べたい、これ食べたい、ご飯食べに行きたい、ラジコン飛ばしに行きたい、痛いのは嫌、苦しいのは嫌、家にいたい、トイレ行きたい、うるさい、お風呂入りたい」
父が言葉にして伝えてくれるから、きっと犬猫たちもこのように思うのだろうとひとつひとつが私の心に刻まれていきます。
父は癌の痛みと肺癌特有の呼吸苦の緩和が大きな課題。
よく犬や猫は痛みに強いと言われますが、私はそうは思いません。
チヨちゃんなんて
アタシ痛いわ!どうにかして!!!
って、ちょっとのことで大騒ぎだったし。
逆に私は出産直前に猛烈な陣痛に耐えかねて無言でナースコールを押したのに「その顔なら大丈夫」と顔で診断されて気付いてくれた頃には生まれる寸前。
犬猫だって痛いものは痛いはずで、苦しい時は苦しい。
それを人間が分かってあげていないだけ。そう思います。
父の痛みは、医療麻薬の舌下薬でも麻薬テープでも抑えきれなくなり、最後の約2ヶ月は持続皮下注射で緩和していました。
定期的に酸素濃度を測り、常に酸素吸入も。
訪問診療の最初の診察の際、「食べられなくなった時に点滴は希望されますか?」と主治医に聞かれました。
「どうしたらいいの!?」と母に振られ、「消化吸収が出来ないのに点滴をしたらかえって苦しめますよね?」と聞くと、「その通りです」と。
痰が増えたり、体が浮腫んだり、父の場合は心肺に疾患があるので水が溜まったり、過剰な点滴はきっと苦しくなるのだろうなと思います。
たみは体の水分のバランスがすごく大事な腎臓の治療をしていたので、その中でも。
たみは皮下点滴をしていましたが、良かれと思ってした点滴が過水和にならないように量を調整していました。
チヨたみの介護をする中でどうしたら本来の寿命を苦痛なく過ごせるかと悩み、私は犬猫の介護についてではなく、人間の穏やかな介護や看取りはどのようにして行うのか少し調べていました(チヨたみを看取った後に気持ちの整理がついたのも、「悲嘆のプロセス」という心理状態を知っていたのが大きかったと思います)。
・医療法人ゆうの森コラム
・日本終末期協会
父は最期、緩和ケア病棟に入院しました。
介護の中心を担っていた母の気力体力が限界で母が父の入院を希望したことと(帰れなくなるよ?と何度も言いましたが…)、当初の予定では最期は入院する予定で希望すればいつでも入院出来るように予約していたこと、私は朝から夜までの通いでしか介護の手伝いが出来ないことなど、様々な事情からです。
いざ入院となると「帰れなくなるから」と渋る父の姿を思い出すと今でも胸が締め付けられます。
でも私はただの通いのお手伝いなので母の判断に口を出すことは出来ませんでした。
そういうところも犬猫介護をほぼワンオペでしていた時の経験。
手を出せない人は口を出したらいけません。
父は鎮静剤を持続投与することで、今日本で人間に認められている安楽死に一番近い方法で眠ったまま亡くなりました。
父の介護の経験をどう活かすか
現在の日本では人間への安楽死は認められていません。
「犬猫には安楽死という選択がある」という安楽死するかしないかの二択ではなく、積極的な緩和ケアという、安楽死を選択する前にまだしてあげられることがあるということを知りました。
老犬介護をする上で出来る限り快適にと努力をしてきましたが、苦痛を取り除くための投薬はもっと怖がらずにしてあげても良かったような気もします。
特に夜通しヒンヒン鳴いていたたみにはもっと穏やかに寝られる時間を増やしてあげても良かったのかなと。
また、緩和ケアの末に苦痛を取り除いた状態で自然に死を迎えることが可能ということも知りました。
人と違い、犬猫にどれだけの緩和ケアや疼痛管理が出来るのかはわかりません。
出来たとしても莫大な医療費が必要になると思います。
それにその緩和すらも理解が出来ない犬猫とっては苦痛になるかもしれないし、入院が必要になるかもしれないし、腎臓肝臓に疾患があれば緩和のための投薬が大きな負担になることも。
様々な面から考慮して在宅で出来る最善の形で出来る限り痛みや苦しみは取り除き、その先に苦痛しかないのなら安楽死も愛情の一つなのかなと思います。
父は「痛い!痛い!もういやだ!」と大騒ぎするほどの痛みがなくなると途端に生きる気満々になっていたので、犬猫もあまりに悲観し過ぎるのではなく出来得る限りのことはした上での選択としたいかな…。
20代から人間の育児から学び、祖母に学び、チヨたみに学び、父に学び、逃げ出したくなるほど大変な事も多いけれど、ひとつひとつが大きな大きな財産になっています。
それらを無駄にせず、みんなの思い出や頑張りを振り返りながらこれから自分に課される課題を最善の形で残していきたいと思います。
私は親の世話をしていますが、同じことを子供達にさせたいかと考えたら、出来るだけさせたくはありません。
だから長女には「私がいつか病気や認知症で世話をかけることになったら迷わず施設に入れるか入院させてね。もしその時になって家にいたいと言ったとしても『お母さんは昔あんなこと言ってたけど家にいたいというのが本心なんだわ』とか絶対思わないで。40歳の私が言ってることが本心だから」と伝えてあります。
40歳女。
育児の経験があり、犬も猫も何匹も飼ってきて親の介護もしてそれなりの経験値を積んできたと思いきやまだまだ全然で、一生かかっても一人前にはなれそうもありません。
学ぶ姿勢、活かす努力、誤りを正す姿勢を忘れずに、大切なものを守っていきたいと思います。
ある程度年を取ったら好きだから犬猫と暮らさない選択をすることも心に決めて。